60 もう一度だけ

 朝。ベッドから起き上がると、既にククールは目を覚ましていたわ。
 その日のククールは明らかにおかしかった。
 いつもより挙動がぎこちなくて、まるで何かを躊躇っているようだった。
 だから、私は思い切ってククールに聞いたわ。

 ───好きな子が…出来たんだ。

 耳を疑った。
 紆余曲折あったけれど、それでも私達は上手く行っていると思っていた。
「だからもう、ゼシカとは付き合えない」
 決定打とも言える、言葉が震えているように感じるのはどうしてなのかし…ら?
 嫌だわ、ククール。いつも、女の子相手に傷付けるような台詞なんか言わないじゃない。
「オレは…元領主の息子だとは言え、相変わらず根無し草状態だ。オレとゼシカじゃ釣り合わな過ぎる」
「…っく。嫌ぁ…」
「恨んでくれていい。気が済むまで殴ってくれても構わない」
「馬鹿っ!」
 たった一言だけ、そう言って彼の頬を引っ叩いたわ。
 涙目になるのを堪えながら私は部屋を出て行った。
 目の端にククールの項垂れる(うなだれる)姿が映ったけど、それでも足は止まらなかった───。




 独りきりになりたくて、私は自分の家に籠った。
 来る日も来る日も自分の部屋で過ごしたの。
 流石にメイド達も心配していたけれど、それでも私は外に出られなかったわ。
 食事も殆ど喉を通らず、鏡に映った姿は少しばかり元気が無かった。
 ううん、少しじゃないわね。
 サーベルト兄さんが亡くなった時ですら、こんなに落ち込んだ事は無かったもの。

(私にとってククールは…いつの間にか大きな存在になり過ぎていたのね)




 幸いな事に、母アローザはずっとポルトリンクで事業を取り仕切っているから家には帰ってきていない。
(暫くは…何もしたくないわ)
 そんな中、目に入ったのはあの香水瓶。
 ククールと一緒にサザンビークのバザーで買ったものだった。
 処分してしまいたい気持ちになったけど、どうしてもそうする事が出来なかった。
 同じように、指環も…。

 悔しかった。
 辛かった。
 哀しかった。

 様々な感情が交じり合って、よく分からなくなってしまう。
 こんな辛い恋をするのなら、最初から惹かれたりしなければ良かったのに…。
 そう思いながらもふと、裏庭まで日に当たりに行った。
 綺麗に咲いていた桜も散り、今ではすっかり若葉が生い茂っている。

 バサッ!

「!!」

 私はとっさに身構えた。
 誰かが木の枝から降り立ったの。
「…ククール」
 それがすぐに彼だと認識出来た。
 あの赤い聖堂騎士団の制服を着ていたから。
「…ゼシカ」
「何しに…来たのよ」
 泣いていたのを悟られまいと、鋭く睨む。
 珍しく少しお酒に飲まれているようだった。
 草木で一杯のこの庭にそぐわない匂いが…したから。
「オレは、やっぱり最低だよな。他の女といる時に…ゼシカとシている気分になった」
「…言いたい事はそれだけかしら?」
 ただただ哀しくて。
 きつい言葉しか出て来なくて。
「最低だわ! 振ったのはアンタのくせに…っ!! 今更そんな事言われたって…っ」
「悪りぃ…」
 どんな言葉ももう私には届かない。
 …人間って不思議だわ。
 あれだけ好きだと思っていた人の事を想い浮かべるのがこんなにも苦痛になるんだもの。




 その2ヵ月後───。
 トロデーン城の式典に賓客として参加する事になった。
 流石にエイトやミーティア姫の申し出を断るわけにも行かず、私もドレスを着て行こうとしたわ。

「…何でアンタがここにいるわけ?」
「そりゃあ、レディをエスコートするのはオレの役目だからな」
 大きなお世話だわ!
 別にククールの力を借りなくても、お城まで行くのに問題は無いもの。
「…キメラの翼なら、さっきおっちゃんが買って行ったのが最後だぜ?」

 …ぎくっ。

「なら、ポルトリンクまで馬を飛ばすわ。流石にあっちまで売り切れ、なんて事は無いだろうし」
「そんな連れない事言ってないで───」

 バシンッ!!

「ぁ…ごめん、なさい」
 一瞬だけ、昔に戻ったような気がした。
 けれど、そう…。
 あれはもう、終わってしまったのよ。
 どこを探してももう2度とあんな風にはなれない。
 その事に気付くと、場の空気は無惨にも凍り付いた。
「これ、使え。オレは先に行ってる」
 投げるように渡されたのはルーラの効果がある風の帽子。
(もしかして、私がこんな風に拒絶するのを予想してた…の?)

 ううん、そんな事は無いわね。
 あるわけ無いわ。

 私はその場から去って行く赤い騎士をの後ろ姿を見ながら、かぶりを振った。




 既にエイト達は私とククールの近況を知っていたようで、何もその事には振れなかった。
 けれど…その優しさが、とても哀しかった。
「あらまぁ、ゼシカ。調子がよろしくないのでしょうか?」
「そんな風に…見える?」
「はい。まだ式典まで時間はありますから、客間を使って休んではいかがですか?」
 そう言って勧めてくれるから、ミーティアの好意に素直に甘える事にした。




「お酒かぁ…」
 普段はアルコールをあまり飲まない私。
 でも、何だか無性に煽りたくなった。
 …ヤケ酒なのかしら?

 ごくん。

 甘酸っぱくて、美味しい。
 あまりに美味しかったから、ついつい飲み過ぎて…気付いたら、ビン1本は軽く飲んでいた。

 …あ、れ?

 立ち上がろうとしたら、何だか意識が遠のいて───。




 がばっ!

「…起きたか?」
「何で…アンタがここに…いるのよ」
「助けてやったのに、そんな言い方をするのか?」
 ククールの言葉は止まらない。
「大体、飲み慣れていないくせに、たくさん酒を飲みやがって…。その挙げ句、床に倒れていたらオレじゃなくても心配はするさ」
 その口調は珍しく、怒りを孕んでいた。
「心配…してくれた、の?」
 ああ、と彼は頷いたわ。
「ゼシカ…痩せたな。…オレの、せいか」
 いつもの癖───私の髪を撫でようとして、その手を止める。
 私は黙った。それを肯定と取ったのか、ククールは続けた。
「こんな事をオレが言うべきじゃないのは分かってる。…でも、心配していた」
 蒼い瞳が細められる。
 私は遠慮がちに口を開いた。
「ずっと…ククールに触れたかった」
「…触れればいいさ」
「でも…もうアンタは…!」
 ククールの腕の中で小さくなって泣きじゃくる私。
 お願いだから…もう優しくしないで。
 辛過ぎるわ…。
「ゼシカなら…きっとオレがどんな事をしても許してくれると、きっと思っていたんだな。はは…オレは最低だな」
 自重的な笑み。
 蒼い瞳が行き場を失ったかのような哀しみを宿す。
 それを見たら…何も言えなかった。
 …ただ、1つを除いて。
「もう1度だけ…抱いて。ククールの手で」
「いいのか…あの時苦しめ───」
「いいの。これで最後にするから…」
 恋人だった時のように、私達は熱い抱擁を交わした。
 けれど、口付けされそうになって、反射的に私は逸らした。
「身体だけ繋がっていればいいの…っく。もう…恋人じゃないから」
 驚いたようなククールの顔。
 何で…そんなに、驚くのよ…。
「あの時のやり直しをするのなら、しなければ駄目だ」
 ククールはそう言って優しく、けれど激しくキスをした───。




 さよなら、愛しい人。
 こんなにも好きだったなんて。
 今更気付いても…全てが手遅れで。
 でも、それは彼も同じで…。
「ゼシカ…。オレ───」
「気にしないで。ククールはククールの道を行って」
 もう2人の道が交わる事は無い。
 ククールもそれを分かっているのか、彼の瞳も揺らいでいた。




 それから1週間後───。
 夜風に当たりながら、あの時の事を想い出していた。
 まだ、彼の匂いが残っているような気がして…。
「こんな…割り切れない気持ちをいつまでも抱えていちゃいけないわね」
 私はそのまま教会に向かい、祈りを捧げた。
 涙が、一筋…滴り落ちた。
 けれど、目を瞑ったまま一心不乱に祈っていた。
 幸いな事に、神父とシスターは席を外してくれていた。
 きっと、私が何を考えているのか分かったんだわ。
「ごめん…なさい。でも、やっぱり好き…」
 自分の気持ちに嘘は付けなかった。

 このまま、ずっと気持ちを貫いて生きて行こう。
 たとえ、もう道が交わらなくても…貴方の事…ずっと好きでいるわ。
 好きだからこそ、私…離れなきゃ、いけないよね。

 踏ん切りを無理矢理付けて、立ち上がる。
 教会を出ると夏にしては少し涼しい風が吹いていた。
「…!」
 どうして…ククールが、ここに?
「これ…この前の忘れ物を届けに」
 それは私が大切にしていた、サーベルト兄さんから貰ったハンカチだった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 そう言って、身を翻そうとするククールに私は声を掛けた。
「ククール、お願い…戻ってきて」
 彼は目を丸くした。
「オレはゼシカと傷付けた。アローザさんにだって会わせる顔が無いさ」
「それでも…」
「…いいのか」
 どうなっても知らないぞ、と呟くククール。

 いいの、覚悟は出来てるわ。
 貴方がいない世界よりも、やっぱりずっとずっと…。
 他人の彼を奪った酷い女と罵られても、天罰を受けてもいい。
 ククールがいないと駄目なんだ、そう思った。

「ごめん…こんなオレを受け入れてくれて、ありがとう」
 少し、いつもよりも落ち着いたククールの声音が私の心に響き渡った───。

後書き

 久々のククゼシ小説でした! 実はこれ書きながらずっと始終泣いておりました。昔の古傷が痛んだんですよ、きっと(嘘です(笑)) こういう話ばっかり書いているから、悲劇のヒロインぶるなって周りから怒られるんですね、はい;; かなりバットエンド気味でしたが、皆様の反応が気になるところです。

プロット※要反転

クク「好きな子が出来たんだ…」
ゼシ「…」
クク「だからもう、ゼシカとは付き合えない」

 その後の事後っぽいニュアンス。

クク「俺は最低だよな…ゼシカを抱いているみたいだった」
ゼシ「…最低だわ…っ! 振ったのはアンタなのに…!」

 その2ヵ月後。

ゼシ「今夜だけでいい…もう1度だけ」

 その1週間後。

ゼシ「…戻ってきて」
クク「オレはゼシカと傷付けた。アローザさんにだって会わせる顔が無いさ」
ゼシ「それでも…」
クク「…いいのか」

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