星雪華

花弁が空から降って来る。
誰が、何を悼んで振り撒いているのか。
白い花弁が額に、頬に、掌に、舞い落ちる。
そして、僅かな冷たさの感触を残して、溶ける。
儚い、天から降る純白の冷たい華。



降り積もった雪の上に仰向けに寝転がり、柔らかく、しかし重た気に舞い落ちて来る白い花弁を飽きる事無く見詰めている。音も無く静かに舞い降りる様子は何とも言えない儚さと侘びしさを心に響かせる。
そんな感覚は決して厭なものではなく、ぼんやりとしている分には寧ろ心地よいものでさえあった。

「風邪をひいちゃいますよ?」

長い髪に白い花弁とその残骸の光の粒を飾ったステラが傍らに跪き、舞い落ちる雪を妨げるように覗き込むと髪の毛が顔の上に滑り落ちて頬をくすぐる。
20歳を過ぎたと言うのにまだまだあどけなさの抜けない顔立ちは、出逢った頃と変わらない可憐な微笑みをたたえている。
若葉色の髪の毛も翡翠の瞳も全てが愛しい、久遠に共に居たいと、居て欲しいと願った女性。
上体を起こしてゆっくりと手を伸ばすと冷たい頬に触れる。ただそれだけの瞬間に頬が紅く染まる様子はいつ見ても可愛らしく、大多数の人間から仏頂面と評されるドルガンの顔に微笑みを齎す。

「何ですか?…もう、」

ドルガンが唇を塞がなければ、桜色の唇は「折角心配して来たのに」と言葉を紡いでいた事だろう。
互いの柔らかい感触を惜しむように唇が離れると、二人の白い吐息が混ざり合って緩やかに流れ広がる。
白い吐息が研澄まされた冬の空気の中溶けていく様を楽しそうに見詰め、落ちて来る雪を両手で捕まえるような仕種をするドルガンを見てステラが小さな笑い声を漏らす。

「?…何だ?」

雪を捕まえた筈の両手を不思議そうに広げていたドルガンは、何故ステラが笑っているのか解らずに眉根を寄せて首を傾げる。
楽しそうに微笑むステラは首を横に振るばかりでくすくすと笑い声を零し続け、両手を差し出して先程よりは落ちる量の少なくなった雪を受け止める。

「雪は砕けた星の欠片…って、昔…母が言ってた……」

言って両手の指先を口許に当てる。その手は血が通っているのか怪しい程に白く、ドルガンを慌てさせた。体の丈夫な自分なら兎も角、何かと体調を崩し易い彼女の体を冷やしては事だ。自分の手袋を外すとそっとステラの両手を包み込む。

「…、…温かい……」

手袋を着けていた事を差し引いても、自分よりも長い時間屋外に居た彼の手が余りにも温かく驚きの声を漏らす。
…が、考えてみれば指先に込める精緻な力を制御して精密な剣技を繰出す彼がむざむざと指先を凍えさせる筈はない。

「手が温かい人間は心が冷たいそうだ」

ドルガンの声に顔を上げると同時に体を強引に抱き寄せられ、彼の羽織る外套に包まれる。
胡座をかいたドルガンの膝の上に横抱きにされステラは頭を彼の胸に凭れ、己の手を包む夫の大きく無骨な手を解いて頬に押し当てる。

「……嘘」

囁くように、小さな声で否定し、寂しそうに掌に口付けるとそのままドルガンに抱き着く。
冷たい人間ではない事は知っていても、恐ろしく無愛想なドルガンを苦手とする村人は多い。そしてその話はステラの耳にも時折届き、その都度彼女の心を哀しく締め付ける。他の人よりも少しだけ口数が少なくて、笑顔が少なくて、ぶっきらぼうで、ただ、それだけなのに…と。
時折紡ぐ言葉はとても重く優しいのに、たまに見せる笑顔はとても温かいのに、見えない所で気を遣ってくれているのに。どうして誰も気付かないのか、それがステラには悔しくて哀しくてならない。

「ステラがそう思ってくれているなら、俺はそれだけでいい」

ステラの細い肩からずり落ちたショールを直し、優しく強く抱き締める。
力を込めると容易く壊れてしまいそうな細い、薄い肩。だからいつも包み込むようにステラを抱き締める。

「この世の中に、私しかいないような事を言うんですね」

でも、いつか私は貴方を独りにしてしまうのに…。翡翠の瞳に涙が滲む。
体の弱い自分は長くは生きられない。遠くない未来彼は独りになってしまう。彼が独りになった時、彼の本当の優しさを知る人が誰もいなくなってしまったら……そんなのは哀し過ぎる。頬を涙が伝い、凍えるような余韻が涙の痕に訪れる。

「そうだ、君しかいない」

志を共にした仲間と離れ、故郷へはどんなに望んでも二度と帰れない。それでも構わないと思ったのは、仲間の帰って行った、故郷のあるあの世界にステラはいない。ただ、その一つの事実。
ステラの頬を伝った涙の痕を拭って目尻の涙を嘗め取り、そして何か言いかけた彼女の唇を再び塞ぐ。
そのまま深く長い口付けを交わし、ステラが指先まで体を火照らせた頃に漸く唇を離す。雪明かりだけでは顔色を窺えないが、恐らく耳まで赤くなっている事だろう。零れそうな程に潤んだ瞳が一際見開かれる。

「…月」

周囲が一瞬で明るくなった。さっきまで白牡丹の花弁を散らしていた分厚く低い雲は風に乗ってゆっくりと夜闇の天辺に穴を開け、現れたのは高い雲をヴェールのように周囲に侍らせた皓々と輝く蒼い月。天候の変わる早さはここが山地であることをいつも痛感させる。
冬の澄み切った空気でより蒼く、より白く見える月は地上のあらゆる物に光を降り注ぎ、深蒼の影を落としている。
地上に降り積もった雪が月の光を反射して異様な明るさを周囲に齎しており、驚く程に互いの表情がよく見える。

「さっきまで雪が降っていたのに…」

ステラが立ち上がって嬉しそうに、楽しそうに空を振仰ぐ。そんな楽しそうな様子につられてドルガンも立ち上がり見上げた空には、ぽっかりと穴が開き月が浮かび星が瞬いている。
月の周囲に星を見る事は出来ないが、降り積もった雪の結晶が月の光に照らされて星のように煌めく。
視線をステラに転じると寒そうにショールを掻き体を摩っているのに気付く。それでもまだ彼女は空を見上げ続ける。

「家に入ろう、風邪をひくぞ」

外套で包むように後ろから抱き締めると「まだ、」と呟いて頭を横に振る。
素直なように見えて、彼女は言い出したらきかないような所がある。しかし我侭だの頑固だのとは遠く懸け離れた性質と思えるのはドルガンの欲目だけではないだろう。

「俺の郷の古い言葉で、星の事をステラと言うんだ」

後ろから抱き締めたまま不意に耳許で囁く。凍えた耳朶にわずかに触れる唇と温かい息、頭の芯を痺れさせるような低過ぎない声にステラの心臓は急激に加速し、再び顔が熱くなるのを感じた。
…どうして、この人は恥ずかし気もなくこんなにも歯が浮くような気障な言葉を紡ぎ出すのだろうか。それも平然と、淡々と。

「星は人の生き先を示す。俺の星はこの宙には無い……だから、君の存在が俺の道標だ」

巧言も、令色もない本心を有りの侭に告げる。それを恥じる事も隠す事も必要無い、そう思う。しかも、それが彼女の前でなら、彼女へ向ける言葉であるならまして必要無いのだが、率直で突慳貪な物言いは、彼を愛して止まないステラをもってして「気障」と思わせる反面性を持っている事に本人は気付いていない。
ステラが腕の中で体を反転させる。切なそうな、恥じらうような瞳で見上げ、両手を差し伸ばしてドルガンの冷え切った両頬を包んで引き寄せる。
身を屈めてステラの為すが侭にしていると額に柔らかく温かい感触がする。

いつか…ずっと…側にいて下さいね……

甘く、優しく温かい吐息が耳をくすぐり、ステラが何か囁いたような気がした。
そして彼女は自らの表情を隠すようにそのまま首に手を回して抱き着く。

「私はあなたの道標より……、……墓標がいい…」

ステラの頼り無い体を抱き締めたドルガンの耳に、今度ははっきりと声が届く。
返事に代えて、甘く温かい首筋に顔を埋めた。
若葉色の紗越しに蒼と白の輝く雪原が、見えた。



「……バッツか」

蒼穹の瞳を隠したまま、雪の上に仰向けに寝転がったまま、大きくも小さくもない声でこの世でたった一人の肉親の名を呼ぶ。
父親に名を呼ばれた少年は、それまで殺していた足音を解放し溜息を吐く。
どんなに足音を殺しても、息を潜めても、父親は体中に目が付いているかのようにすぐに自分に気付いてしまう。
気配を探るのが得意なのだと言う。父親の目隠しをしたままの演武を見た事があり、その流れるような美しさと息を飲む程の正確さは今でも目に焼き付いている。いつか自分も父のように、と稽古を重ねるが剣術も気配の操作も未だ到底適わない。

「…風邪ひくよ」

拗ねたような、気遣うような声にゆっくりと目蓋を持ち上げると白い花弁が目に飛び込んで来る。それと同時に温かいものが目尻から顳かみに流れ、それに気付いた瞬間反射的に目を片手で覆う。

「…と…さん…?」

明らかに戸惑った声が己の口から滑り出た。父親の涙を見るのは、決して初めてではない。……母の事を思い出していたのだろうか、と思った。まさか、雪が目に入ったからと言う訳ではあるまい。
母がこの世を去って13年経つ。父が母と過ごした年月と同じだけの時が経っている。
幼い頃母が恋しくて泣いた時、無邪気に新しい母を欲しがった時、父はいつも困ったように微笑んで「そんな辛い事を言わんでくれ」と頭を撫で、抱き締めてくれた。そんな時いつも父は母の事がまだ忘れられず、まだ愛しているのだと感じた。
それがとても嬉しくて、少しだけ寂しかった。

「…俺が死んだら…ステラの隣に埋めてくれ…」

冷たい、張り詰めた空気に言葉が無機質に響いた。余りの静けさに牡丹雪の落ちる音さえ聞こえそうで、そして壊れそうな程に耳が痛かった。

「…え…、……何………、…何言ってるんだよ……」

暫しの沈黙の後、震える声。思い掛けない、父の言葉。
これは、冗談などではないのだろう。元々が寡黙で、戯けた事など殆ど言わない父の言葉はいつも重かった。それでもその中には優しさがいつも詰まっていた。
ずっと遠い未来の事だと決め付けていた事を、父自らの手で目前に突き付けられ、ただ動揺する事しか出来なかった。早まる鼓動、荒くなる息、冷たくなっていく体。

「……約束なんだ、ステラとの……」

彼女が俺の墓標となる。俺は彼女の元へ辿り着かなければならない。二人で越えた初めての冬に交わした、絶対の約束。

それは決して大きな声ではなく、寧ろ囁くような消え入りそうな声だった。
それでも言葉は耳に、胸に響き、そして鼓動も呼吸も一瞬凍り付いた気がした。その中で、涙だけが溢れて流れた。
この人には母しかいない。母がこの人の全てなのだ。
彼女の為に生まれ、時を過ごし、出逢い、愛しあって、失って、…母の元へ辿り着く事を願っている。

「…わかった…、けど、……ずっと、ずっと先の話だからなっ…」

声を絞り出すといたたまれずに新雪を踏み鳴らして駆け出す。
足音が去って暫しの後ドルガンはゆっくりと立ち上がり、緩やかな仕種でひたすら牡丹雪の降り落ちる蒼と白の雪原を見渡す。

「雪は…砕けた星の欠片、…か……」

20年以上も前に彼女が口にした短い言葉を自ら口にしてみる。そして優しい眼差しでバッツの付けた幾つもの蒼い影の塊の一つ一つを数える。

「…あれは、君の欠片だな……」

雪に煙る宿の明かりに視線を縫い止めて独り言ち、白い息を吐き出す。
己の生き先を示した星は13年前に流れ落ち墓標となり、欠片だけが掌に残った。
欠片は光を発するが、生き先を示さない。その欠片を胸に抱いてただ墓標へと歩みを進めて来た。

「…まだ…逝ってはいけないか…?……君の元へ………」

掌で受け止めた白い花弁を握りしめ悲痛な面持ちで俯き、胸に押し当てる。
ひそひそと微かな音が聞こえ目線を上げる。あの時のステラの聞こえなかった囁きに似た音。睫に落ちた雪が滲んで深蒼に染まった世界を歪める。

「…、…早く……早く…君に…逢いたい……」

許して欲しい。早く君に逢いたいと願う心を…。空を振仰いで許しを乞い、強く願う。
雪がひたひたと顔に落ち涙のように首筋に流れ落ちた。



花弁が空から降って来る。
君が、逝き急ぐ俺を悼んで振り撒いているのか。
白い花弁が額に、頬に、肩に舞い落ちる。
儚い、天から降る純白の冷たい華。
君の欠片、君の涙。


君が、俺の生き先を示す。君が、俺の辿り着く先…

あとがき

Fantasy LoversのFairyさんへ相互リンク記念にお送りした作品です。リクエストはドルステで「雪」にまつわるお話でした。

初の切ない系のお話……を、目指してみました。ちょっと長くなってしまいました…。所々当字やニュアンスとしての言い回しを遣っている部分がありますので、言葉遊びのようなものだと思って下さったら幸いです。あと、視点が目紛しく変わるのでもしかしたら読みにくかったかも…しれません……。この点リアクションお待ちしております〜。反転部分も漏れなくお読み下さいませ♪

うちのドルガンはとにかくとにかく、高々16歳のバッツに見抜かれるくらいにステラ激ラヴ!!なステラ馬鹿ですね。全てアンタの欲目やっちゅーねん!…みたいなね。後半のやもめ編では本当に見事なやもめっぷりとその点は自画自賛(爽笑)でも勿論バッツが可愛くない訳ではないですよ?何と言ってもステラの半身ですからね…。早くステラに逢いたいと思う気持ちに後ろめたさを感じるのはバッツが大切だからです。

Fairyから一言

 素敵過ぎますっ! ドルステならではの切ないお話、情景が詩のように美しくて透き通っていて………読みにくいなんてところは全然ありませんよw むしろ効果的な切り方だと思います。ステラさん、可愛い♪ やはりドルガンは気障でなくては(笑) 夫婦ってまた恋人とは違った甘さがあるのでそれが楽しいw 桐流様、ありがとうございました♪ これからも宜しくお願いします!

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