春と恋

俺には好きな奴がいる。
同じクラスの女の子。高校に入って知り合った奴で、気がつけば視線で追っているようになっていた。もともとクラスでも仲が良い――というか俺が一方的にからかわれていた気がする――ほうで、そういったことで冷やかされたこともしばしば。嬉しかったけどな。ていうかあれはクラスメイトの単なる自己防衛みたいなものだろう。ってそんなことはどうでもいい。
俺の名前は黒崎雄二。んで、あいつの名前は宮下紫。
今は卒業式を間近に控えた三月。といっても卒業するのは一個上で、俺たちは高三になることが決まったばかりだ。成績はいつもやばかったけど何とかダブりはせずに来ている。
まあそんなこともどうでもいい。問題はあいつの言葉だった。まったく、なんで俺に聞くんだよ……。


「私さ、好きな人がいるんだ」
「……は?」
目の前の席に、あたかも自分の場所のように遠慮なく座った女の子、紫。背中に届く長い髪の毛。シャープなラインを見せる顔。そしてその目を覆う長いまつ毛。美人の部類に入り、男なら十人中七人が振り返るであろうレベルだ。ちなみに、そのうち二人は物好きで一人は同性愛者だ。
で、今こいつはなんて言った?俺はこめかみを押さえつつ問う。
「だーかーら、好きな人がいるの」
「……誰?」
冷静に問う。
「言うわけないでしょ?」
「まあ、そうだが……。で、俺に何をしろと?」
「んふふー」
「気色悪い笑い声を上げるな。手助けしないぞ」
「いいじゃない、別に。ちゃんとフォローしてね」
と言ったように、手助けなんてこれっぽっちもしたくない。大体、自分の失恋を後押しするようなことをする輩がこの世の何処にいると言うのだ。
「分かったよ」
ここにいるけどな。
世間では春が近いが、俺の心は今まさに冬を迎えんとしていた。


「んっとね。まずさ、男の子ってどんな髪型が好みなのかな?」
そんなことを聞くのか?そもそも、好みなんて人それぞれだ。
「んなもん、誰が相手なのかも聞いてないのに分かるわけないだろうが」
「大体よ大体。統計論ってやつ?それで」
なぜごく普通の一高校生にそんなことを聞くんだろうか、分かるわけない。……と言いたい所だが、実は知っている。いつか何処かの雑誌で見た。
「信用に値するかどうかは知らんけどな、セミロングが五十%を占めてた気がする」
「じゃあこの髪は切ったほうがいいかな?」
「さあな、微妙な長さだし、まあおまえの好きにしたらどうだ?」紫の髪を見る。「俺としては今のままが好きだけどな」
後の言葉は当然ながら言えるわけ無かった。
「雄二もセミがいいの?」
「そんなことはどうでもいいだろ」
「……まあね」
次の日、紫は髪を少し切って来た。


「ねね、雄二。これどう思う?」
紫が髪を切った次の日。つまりはあの日から二日たって、紫はまた俺の元へやってきた。
今、目の前にたって見せてきているのは、いつもは化粧なんてしない紫の見違えた姿だった。
「化粧でもしたのか?」
「うん。ね、どうかな?」
「……」
俺はしばし無言でその姿を見つめ、すぐに視線を逸らす。すっぴんの時でも十分過ぎるほど綺麗だった十人中七人が振り返るその顔立ちは、それが九人になっただろう。もちろん同性愛者が惹かれることは無い。
「綺麗だ」
なんてことを言えればよかったのだが、俺はそれをさらっと言えるほど場馴れしてない。だからこんなことを言ってしまう。
「まあいいんじゃないか?」
こういうときの自分が歯がゆくて情けない。綺麗だ、の一言くらい言えればいいのに。
「あ、なんか興味なさそー」
恥ずかしくて顔を背けながら言ったことが、どうやら紫には真面目に見てないように映ったようだ。俺だって見れるものなら穴が開くほど見たいさ。
「うるさいな、綺麗だ。可愛い。これでいいか?」
「なによ、それ。あんたに聞いた私が馬鹿でしたよーっだ」
紫はそれだけ言うと俺から離れていった。怒ったのかもしれないが、それは仕方の無いことだ。
くそ、なんでどうでもいいときにばかり言えるんだよ。なんか自分に腹立ってきたぞ。
それにしても……あいつは誰が好きなんだろう?やっぱり時期から見れば卒業生か。ちょっと遅い気もするが、あいつは行動に移すのがいつも遅かったからな、それくらいは有り得る。できるなら、俺はその相手を殴りたい。単なる嫉妬からでしかないのだが……。


卒業式前日。
俺と紫は二人で商店街を歩いていた。
ただの買い物。傍から見ればこれはデートになるのだろうか?まあ紫にとっては単なる一男友達にしか見えてないだろうから心の中でだけ喜んでおこう。俺は両手に吊るされた大荷物に疲れを感じつつも、意地で顔には出さなかった。むしろ、普段は見ることのできない紫の私服姿を拝むことができて疲れなんて吹っ飛んでしまう。
「なあ、紫」
「なに?」
ふと浮かんだ、というか前から思っていた疑問をぶつけてみる。
「つまりのところおまえは誰が好きなんだ?俺の知ってるやつか?」
「そんなに気になる?」
「まあ、あんな風に言われて、しかもこんなことまでされてるんだ。気にするなって方が無理だろう?」
化粧のとき以来、特になにもしてないが、片思いの俺からしてみれば気にならないわけが無い。
「んー……どうしよっかな」
「言えよ」
紫は俺の少し前を歩きながら、あごに手を当てて首をゆらゆらさせている。思わず首根っこを_んでやりたくなるが、今それをやると荷物が当たることに気がつき断念する。
と、右手にショウウィンドウが見えた。中には棚や机などがある。インテリアショップだ。
「あ」
「っと!あぶねえな、どうした?」
紫が突然立ち止まり、ぶつかりそうになったのに非難の声を上げるが、紫はそれを意に介さずショウウィンドウに目を向けたままでいる。
「ちょっと、雄二。あれ見て、あれ!」
紫が俺の服を引っ張る。俺は突然のことで為すがままになってしまう。
「なんだよ、おい」
「ほら、あそこ!鏡に映ってる人!」
紫がショウウィンドウの中、展示されている大きな鏡に映った俺たち、そしてその後ろの商店街の街並みを指差しながら、小声でしかし強く言う。
「あの人がそうよ。私の好きな人」
鏡の中を見ても人が多くて誰を指しているのか分からない。唯一の手掛かりになるのは同年代ということだけだが、それすらも俺の推測であって信用が薄い。それでも何とかここから鏡を通して見える男衆を網膜に焼き付けんと凝視する。と、鏡の向こう、俺たちの後ろの方に五人の上級生、卒業生のグループが見えた。あれだろうか?
「どいつだ?」
「だから、あの人!」
さらに体を寄せられ、また鏡を指差しながら言う紫。
(うあ……)
紫が指差して言っている中、俺は鏡に意識が行かずに、今まさに爆発しそうなほど緊張していた。
なぜって、気が付けば近くにあるのだ。紫の顔が、腕が、体が。商店街を漂う匂いに紛れて微かに香っていた紫の香りが強くなり、俺をさらに緊張させる。
「ちょっと、見てる?あんたが知りたいっていったんでしょ?」
真面目に見ていないと思ったのか、紫はさらに強く引っ張り俺に言い聞かせる。当然ながら体はさらに近づき、余計にべったりと張り付くことになる。
(くそ、俺ってこんなに純だったのか!?)
そうは思いつつも、紫の体の感触と、香りに包まれて、俺はこのまま死んでもいいくらいの気分になっていた。
「……ってば」
俺の視線はもう何も捕らえておらず、ただ虚空を見つめていた。
「……二」
ただ虚空を……。
「雄二!」
「わっ」
突然の大声に俺は我にかえる。気がつけば紫は俺から離れていた。
「な、なんだどうした?そういやおまえの好きな奴は?」
鏡と紫を見比べつつ問う。だが返ってきたのは冷たいお言葉だった。
「ばか」
「は?」
「まぬけ」
「なに?」
「すけべぇ」
「んなっ!」ちょっと身を引いてオーバーリアクション「いきなり何を言うんだこの野郎!」
後の言葉はもちろん言えるわけがない。
俺は逃げ出すように走り出した紫を追いかけるのだった。


卒業式当日。
あれから紫はどんどん綺麗になっていった。もしかしたら同性愛者も惹かれるかもしれない程に。恋をすると綺麗になるとはよく言ったものだ。
その変わりようは誰の眼から見ても明らかで、俺が知る限り三人の卒業生に告白されていた。まあ当然ながら紫は断ってたけどな。
そんな日の、卒業式が終わった午後。今俺がなにをしているのかといえば喫茶店でコーヒーを飲んでいる。もちろん一人じゃない。前の席には紫が座っている。
「なあ」
「なによ」
俺の言葉に機嫌が悪そうに答える紫。さっきからずっとこうだ。意味が分からん。
「さっきから何ふてくされてんだよ」
「別に、ふてくされてなんか、無い」
呟くように、だが確かに不機嫌さを感じる口調で紫は言う。
「そもそもだな、何で俺が一緒にいなきゃいけないんだよ」
そう、俺がここにいるのにはこんなことがあったからだった。

卒業式が始まる一時間前、卒業生がわらわらと学校に集い始めたころ。俺と紫は校舎の影に隠れながらその人たちを見ていた。
卒業生達を見守る紫に対し、俺はさして興味を抱く風も無く壁に寄りかかっていた。卒業生だということは分かった。そして俺の記憶が正しければ、今のところ五人に絞られている。だったら探す必要は無い。あのグループは有名だからな。
「これ」
言って、後ろ手に渡してきたのは白い封筒だった。特に凝った装飾も無いが、これを異性から渡されたなら一目でそれだと分かるだろう。
「ラブレターか?今時珍しい」
俺は苦笑し、殺気をともなっていそうな視線に刺されて黙る。
「ちょっと読んでみてよ」
「は?」
なぜ俺が読まなきゃいかんのだ。こういうのは第三者に見せるものではないと思うのだが……。だが読めというなら喜んで読ませてもらおうじゃないか。
俺は無地のシールを丁寧に剥ぎ、ゆっくりと中を見る。そしてそれを取り出し、ざっと目を通す。
「どう?」
俺に背を向けたまま問う紫。その視線はいまだ集まりつつある卒業生に向けられていた。
「いいんじゃないか?」
率直な感想だった。それに対し紫は嬉しかったのか、こちらに笑顔で振り向く。
「じゃあ貸して」
シールをまた丁寧に貼り、それを紫に手渡す。受け取った紫は走って卒業生グループに紛れて姿が見えなくなった。
そしてすぐに、卒業生の群れの中に女性の甲高い声が響き渡った。
あの五人グループが現れたのだろう、あのこの高校のミスタートップ3が揃ったあのグループが。
(ぶん殴りたいのは山々だけど、さすがにあの人数の女子を敵に回したくないな……)
俺はとぼとぼとその場を後にした。
そして卒業式が終わったあと、一人で待つ自信が無いから俺にも来てほしいとの事だった。それでいいのか俺には甚だ疑問だが、断れるほど俺は強くなかった。

「そろそろか?」
俺は喫茶店の壁にかかった時計を見る。時刻は三時ちょっと前を指していた。三時に喫茶店、とあの手紙には書かれていた。
紫は俺の言葉に無言でうなずき、コーヒーを一口。そして深呼吸。そんなにがちがちで大丈夫なんだろうか?かく言う俺も別の意味で緊張していたりするが。
(紫のためを想うならうまくいくことを願ったほうがいいんだろうな。けど、俺自身としては……くそ、最低だな)
そればかり考えているときりが無い。俺は頭の中であのグループを思い出していた。

喫茶店に流れる曲がバラード系からシリアス系に変わった。まるで今の紫の心情を表すかのように……。
「来ない……な」
「ん……」
この席に沈黙が流れること早一時間。いまだあのグループの誰一人として姿を見せない。
さすがに沈黙に耐え切れず、口を開いた。それでも一時間も黙っていたのだから誰か褒めてほしい。冗談だけど。
「まあなんだ、そう気を落とすなよ。な?」
「……」
紫は俯き、さらに黙り込む。
「ほら、気にするなって。なんならもうちょっと待とうぜ。やっぱ卒業式だからな、遅くなってるのかもしれないし」
「……」
無駄か……。俺はかける言葉を失い、一緒に黙り込む。
「……」
さすがに気まずい。俺はなんとか気を落ち着けられないかと考える。
「あのさ、」
「来てるよ」
「え?」
俺の言葉をさえぎり、紫が呟く。
「来てるって、おまえの呼び出した奴か?どこだ?」
俺は店内を見回す。ちらほらと卒業生は見られるが、俺の予想していた奴らは来ていない。
「ホントにいるのか?」
紫を見るが、俺を見つめたまま動かない。
「ていうか、俺と一緒にいたらまずいんじゃないのか?」
それでも紫は俺から視線をはずさない。
「なあ、紫?」
「まだ分からない?」
「は?」
「私が好きなのは雄二だよ」


まったく、紫にはまんまと騙された。と言っても嘘はついてなかったが。
鏡に映っていたのは商店街、そして俺たち。
ラブレターを読んだのは俺。結局誰にも渡してなかったようだし、あの俺の「いいんじゃないか?」の一言を了承と取ったらしい。ちょっと無理がある気がしたが、まあいいだろう。紫らしいといえば紫らしい。
あの後、紫から「雄二って本当に鈍感よね。私が好きでもない人にあそこまでしてもらうわけないじゃない」と言われたが、その言葉を否定できないのが辛い。
なんでこの時期にしたのかは知らない。というか聞きそびれている。後で聞いてみることにするか。
「雄二ー!早くしなさいよー!」
「今行く!」
遠くから紫の声が聞こえる。俺はゆっくりと立ち上がり、紫の、恋人の下へと歩き始めた。
世間では春真っ盛り。俺の心は冬を通り越して春を迎えていた。

後書き

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