第2話 鍵盤に秘められし悲話

「………正体?」
「ああ………俺が退魔術士───陰陽師だってこと」
 もちろん分かった。だって札を使ってたから。
「それが、どうかしたの?」
 私は手当てをしながら尋ねた。
「いや、何でもない」
 朱河君は何を持って私にそんなことを聞くのだろう?
「私には巫女の能力───治癒の神力なんて最近まで全然なかったわ」
 私は嘆息した。
「これで春宮も退魔術士だな。まずはもう1人の龍の能力者を探さないと」
「龍の………能力者?」
「親とかから何も聞いてないのか?」
 私の親はとうの昔に他界している。
 そのことを朱河君に告げると、
「そっか………じゃあ、説明してやる」
 と言って順に話してくれた。


 朱河君の話はこうだった。
 世に闇の眷属の力が強まった時、3匹の龍が降臨する。蒼と紅、それから碧の龍が。
 その龍の力を借りて退魔を行う特別な退魔術士のことをそう呼ぶらしい。
「俺が紅───つまり紅龍(こうりゅう)で、春宮、お前は蒼だから蒼龍(そうりゅう)の能力者だ」
「つまり、私も退魔術士をやれ、と?」
「まぁ、そーゆーことだ。よろしくな、相棒」
 こうして朱河君との奇妙な関係ができたわけ。


 4日後───。
「朱河君が剣道部の次期主将、高野卓也と戦うって!」
「きゃ〜〜見に行かなくちゃ!!」
 放課後のクラスはそんな話題で盛り上がっていた。
「真菜、これは見に行かないと損よ!」
 私は由美に半ば無理矢理連れられて別館の3階にある剣道場へと足を運んだ。
 もちろん、部活は休みだったからだけど。
「うんうん、様になってるわね〜」
 由美はしきりに頷いている。
 確かに道着がよく似合うと思う。
(剣道、か………)
 兄が剣道をやっている私だけど、あまりルールは詳しくない。
 というか、弓道以外の武道はあまり興味がない。
 ………だから、おじいちゃんに怒られるのかもしれないけど。
「はっ!!」
 朱河君の掛け声が辺りに響く。
「やぁっ!」
 対する高野君の少々野太い声がそれを打ち消すかのように響いた。
 乾いた剣戟が何度も繰り返される。
 体格差からしても分かるように高野君は力で押していたので、朱河君の方が遥かに不利だった。
 ………かのように見えた。
「はぁっっ!!!」
 永遠に続くかと思われた均衡は以外にも呆気無く終わりを迎えた。
「そこまで!」
 朱河君が放った一撃は見事、高野君の胴を薙いでいた。


「朱河君っ! 試合、凄かったね」
「何だ、見に来てたのか?」
 朱河君が私の方を向く。
「うん、部活休みだったから由美と一緒にね」
 最近は(何でこうなったのかいまいちよく分からないけど)こうして3人で帰っている。
 お陰でクラスメートからはひんしゅくを買う一方で、朱河君は、
「パートナーだし構わないだろ」
 って言うし。
 ………もちろん、別に嫌ではないけど。
 ついでに言えば、由美にはあっさりあのことがバレてしまった。
 由美曰く、
「真菜の隠し事はお見通しよ」
 らしい。しかも、内容が内容なのに驚きの声1つすら上げない。
 やっぱり霧ヶ峰高校屈指の情報通の名は伊達ではない。
「そう言えば、旧校舎の第2音楽室………」
 急に由美が言った。もったいぶりながら。
「出るらしいの、若い女の子の霊が!」
 その噂は私も聞いていた。朱河君も同じような反応を示している。
「行ってみる価値はありそうだな」
「でしょ! 詳しい話を仕入れてあるから今夜にでも行ってみましょ」
 どうやら由美も行く気らしい。
(由美は一般人だろうに、一応………)
 とは思いつつもたぶん(というか確実に)私と朱河君だけじゃ除霊は無理だろうし。
 能力は十分に、ある。
 足りないのは、情報。
 そこで、情報通の由美が必要というわけ。
「楽しみだわ〜〜」
 明らかに何か、違う。その『何か』は敢えて言う気にはなれないけれど。


 その日の夜───。
 私達3人は霧ヶ峰高校の旧校舎にいた。近々取り壊されることになっている旧校舎には最近、第2音楽室に若い女の子の幽霊が出るという噂があった。
 好奇心が旺盛なうちの学校の生徒は先生の目を盗んでは旧校舎に侵入しているらしいが、彼らはみんな口々に幽霊を見たと言ってはみんなで大騒ぎしている。
 さすがに夜となると暗い。別に怖いわけじゃない───って言ったら嘘になるけど、朱河君もいるし、由美もいる。
「第2音楽室へはどうやっていくんだ?」
「1番奥の階段を上って5階まで行って、渡り廊下を渡った先よ」
 そっか、朱河君は今年転入してきたから去年まで使っていた旧校舎の造りは知らないんだっけ。
 校舎は戦前から使われていただけあって、物凄く古い。木造建築だから、いかにも何か出そうな雰囲気が漂っている。
「春宮、あの弓矢は持ってきたか?」
「うん」
 あの弓矢というのは、特殊な細工───神力が込められた梅の花が彫られている弓矢のことで、これで射った矢は普通では当たることすらない悪霊などに攻撃を加えることができる、というもの。
 おじいちゃんに事情を説明したら、何も言わずにこれを貸してくれたの。
(でも、朱河君は何で私の家にこんなものがあることを知っているの?)
 その弓矢───紅梅神弓(こうばいのしんきゅう)を持ってくるように言ったのは他でもない朱河君だ。
「由美が持っているのは………? 扇のようだけど」
「これは鉄扇よ」
「鉄扇っていうのは非力な女性でも扱える。ただ、霊の類には普通効かないだろうけどな」
(じゃあ、あまり意味がないじゃない)
 そう思ったけど、私は黙っていた。気休め程度にはなるだろうしね。
 床がミシミシと音を立てる。その音がまたいかにも、という音がだからやっぱり少し怖い。
 でも、先頭を歩く朱河君はそんな雰囲気を微塵も見せない。
「ね………ねぇ、真菜………」
「どうしたの?」
「あそこの奥にかかっている鏡………」
 由美の震える指先が指し示す先を私と朱河君はゆっくりと凝視した。
 鏡は私達の姿を───映しては、いなかった。
「あれは………?」
「───!? まずい! 春宮、宝來!! 鏡を見るなっ!!」
 朱河君がそう言った時にはもう遅かった。
「きゃあぁ〜〜〜!!!」
 真っ先に悲鳴を上げたのは由美。
 鏡から無数のおぞましい手が現れ、私と由美を引きずり込んでいく───。
 私は弓を放つ暇も、なかった。
「春宮っ! 宝來っ!!」
 朱河君はすぐさま封印解放のための術式を唱え始める。
「古の術式より、我、此処に聖龍を喚ぶ! 紅龍招来!!」
 左手に紅き龍が宿る。
「龍虎炎烈波(りゅうこえんれつは)!!」
 数が………多すぎる。朱河君の剣術を持ってしても私達を捕らえる手の方がゆうに数を上回っている。
「あ………! 弓がっ!!」
 紅梅神弓を私は落としてしまった。
「由美、しっかりっ!!」
 既に由美の体力も限界に近い。
 その時………。
 私の弓を手に取る者がいた。
「朱河君っ!!」
 はっきりと分かる程に強いオーラを纏った彼は弓に矢をつがえる。
 その目は、虚ろだった───。
「破魔………神龍矢(はましんりゅうのや)!」
 私は眩しさの余り、思わず目をつぶった。
 私の放つそれよりも 数段上の威力の矢が光を纏い、風を、空間を切り裂いて目標に見事命中した。
「春宮、大丈夫だったか?」
「うん、でも由美が………」
 だいぶ生気を奪われている。
「我が祈り、我が願いここへっ! 光癒(こうゆ)!!」
 癒しの神力を使い、由美の体力を回復させる。
「これが、神力ってやつね! 凄いわ!!」
 ほんとにさっきまで生気を奪われていたなんて思えない場違いな声に私と朱河君は呆れ果てていた。


 由美の話によれば、噂の女の子の霊はここの学校の生徒だったという。ある日、第2音楽室でピアノを弾いていた時、いきなり大きな地震があってグランドピアノの蓋に挟まれて手が血まみれになり、さらに運の悪いことに教材が入った箱が挟まれている手の上にとどめを刺すように上から落ちてきてそのまま女の子は死亡。
 どうやらこれが原因で自縛霊化しているようだ。
「いよいよだね」
「ああ」
 第2音楽室───その札が下がった教室の扉を朱河君が開けた。
「うわっ!」
 いきなり本が宙を舞い、朱河君を襲った。
 ポルターガイストの類かもしれない。
「古の術式より、我、此処に聖龍を喚ぶ! 蒼龍招来!!」
 私も朱河君と同じように蒼龍を降臨させた。
「破魔水龍矢!!」
 私は紅梅神弓を使って水の弓技を放つ。
「やめろ、春宮! こんなにたくさんの物を1度に撃ち落とすなんて無理だ!!」
「じゃあどうすればいいのっ!?」
 今の私は全体に効果のある弓術は体得していない。そしてそれは朱河君も同じだった。
「えいっ!」
 由美が鉄扇で宙に浮いた物体を必死にはたき落としている。ポルターガイストとはいえ、浮いているものは精神体でもない、ただの物だから物理的な攻撃は確かに有効だ。
 だけど、人海戦術のように数で迫られたら圧倒的に私達が不利だし、しかも、相手は疲れることを知らない。
「降魔神炎符っ!!」
 それでも、朱河君は術を放ち続けた。彼程の聡明な人間ならば、この場をどのように切り抜けるかきっと考えているはず。だから、私も同じようにした。
(私達の体力が尽きるか、それとも先に突破口を開くことができるか………その、どちらかだけ)
『………!?』
 朱河君と私は唖然としてその方角を、それが起こった場所を、見た。
 ───放たれた術は何と、由美のものだった。
「由美!? どうしたの??」
「鉄扇を使ったら、急に舞術を放つことができた………の」
(どういうこと!? 由美は退魔術なんて使えなかったはず)
「碧龍だろ。碧龍の降臨………宝來は龍の能力者だったんだ」
 そういえば………霊視ができるはずのない由美が何故霊が視えるのだろう、とは思っていた。でも、それは朱河君と私がいるからだとばかり思っていた。
「私が………能力者!?」
「ああ、俺達と同じだ」
 由美は現実に起こったことに対してパニックを起こしているのだと思っていた。
 でも、それは由美の次の台詞が見事に否定してくれた。
「じゃあ、これで私も退魔術士の仲間入り! 嬉しいっ!!」
(喜ぶようなことじゃないだろうに)
 私は心の中で密かにツッコミを入れた。
「じゃあ、気を取り直して中に入るぜ」
 朱河君が由美を私を促した。
 そうだ、まだここで終わるわけにはいかないんだった。
「これが………例のピアノか………」
 朱河君は女の子が挟まれたという、ピアノの蓋を開けた。
「不用意に開けて大丈夫なの?」
「ああ」
 朱河君は椅子に座った。そして静かに鍵盤に触れた。
 ピアノがゆっくりとした曲調の音色を奏でる。どこか哀愁漂う感じの調べだ。
「(朱河君ってピアノも弾けるのね………)」
「(そうみたいね)」
 私達はすっかり我を忘れて見入っていた。朱河君の指は見る人を虜にさせる力があるかのようにしなやかに動き続ける。
「………っ!」
 急に現実に引き戻されたような気がした。
 黒と白の鍵盤が、ピアノが、紅に染まった───。
「朱河君っ!」
「来るなっ!!」
 あの話と同じように朱河君はピアノの蓋に───それも、鋭利化した蓋に───手を、挟まれていた。
 思わず駆け寄ろうとした私を他でもない朱河君が制止しすると、朱河君はまた何でもなかったようにピアノを弾き続けた。
 私は、見ていられなかった。
 でも、目を背けることもできずにいた。
 朱河君の顔が苦痛に染まっていくのが分かった。
(それなのに、何もできないなんて………!)
 私は唇をキュッと噛んだ。
「──────………っ」
 朱河君が、ついに倒れた。
 崩れ落ちるように転がった彼を私は急いで支えた。
「やっぱ………り、俺には力不足だった………か」
 早く回復させなくては、いけない。
 私が術を唱えようとした時───。
 それは、起こった………。
『アリガトウ………私ヲカイホウシテ、クレテ』
「………もしかして、例の女の子?」
『ヤット、コレデ帰レル………アリガトウ………』
 そう言い遺して彼女は消えた───。


 次の日の帰り───。
「全く、無茶するんだから!」
「悪りぃな。でも、春宮にそう言われると安心するぜ」
 すっかりいつもの調子の朱河君だ。
「ねぇ、あの曲は何ていう曲だったの?」
「ああ、あれは『Angel Requiem』っていう曲だ。日本語に訳せば、天使の鎮魂歌だな」
 朱河君は自らの神力を指先に込めて弾いていたらしい。曲に言葉を乗せて………。
「でも、どうしてピアノ弾けるの?」
「一応、小6ぐらいまで習ってたからな」
 ふーん、という顔で由美が納得していた。
「まぁ、いいんじゃねぇの? 結局丸く収まったんだし」
「そうよ、真菜。『終わりよければ全てよし』っていうじゃない」
「………そうだね」
 黄昏時の空に白い羽根が舞っているような気がした。
 それは………もしかしたら天使の、あの女の子に対する、手向けだったのかもしれない───。

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