「ねぇ、貴方」
紅茶を煎れながら有希は俺に向かって話し出した。
「何だ?」
訊き返すと、彼女ははにかんだ。
「…子どもが出来たの!」
「ほ、本当か!?」
ええ、と彼女は頷いた。妊娠4ヵ月、女の子だと言う。
有希は身体が弱かった。その為医者からは子供を授かる事は出来ないと言われていた。
だから、これはまさに奇跡に等しかった。
「名前どうしようか?」
「…あの時の約束を覚えている?」
「ああ」
遥か昔。結婚が決まるよりもずっと昔の事だ。
俺は有希と約束した。「悠人」と「有希」の「ゆ」の字を取って子どもに付ける、と───。
それから月日は流れ───。
霜月と旧暦では呼ばれる頃に突然、有希は倒れた。
「有希!」
会社を飛び出し、病院に駆け付ける。
「大丈夫よ、ただの貧血だわ」
「…そうか」
有希は弱々しく笑った。
───思えば既に、この時彼女は悟っていたのかもしれない。知っていて、俺が娘に逢うのを楽しみにしているのを良く知っていたからこそ…自分の死期が近い事を話そうとしなかったのだろうと思う。
「ねぇ、見て。手を…握り返してくれるの」
産まれたばかりの優凪の手を取り、ベッドに横たわる有希の顔は安らかだった。
「有希…っ」
「悠人…先に、逝くから」
「馬鹿野郎…死ぬな…!」
………。
まるで、その時だけ昔に戻ったかのように俺を「貴方」ではなく、「悠人」と呼んだ。
そんな彼女の最後の言葉は「ごめんなさい」。
「…謝る必要がどこにあると言うんだ! 謝らなければいけないのは俺の方なのに…!」
本当は薄々気付いていたのだからな。有希が自らの生命(いのち)と引き換えに優凪を産もうとしていた事を…。
俺はだんだん温かさを失っていく有希を抱き締め、ただただ泣き崩れた───。
更に時は過ぎ───。
水無月の激雨が続く頃、優凪もまた死の高熱に冒された。
それは産まれてまだ外の世界を殆ど見ていない娘にとって…あまりに残酷過ぎる、仕打ちだった。
医者の言葉は死刑宣告に等しく、俺は酷く打ちのめされた。
もしこの世に神が在るとしたら、どうしてこんなにも辛い目に遭わせるのだろう。
「(俺も…俺も、優凪と一緒に有希に逢いに逝こう)」
もう何も考えず、ただただ優凪の手を固く握り締めた。
「貴方は、私達の分まで生きて…」
「有…希…っ?」
目を疑った。死んだはずの有希が俺の目の前に居る。
生前と変わらぬ、真っ白なワンピースを着た姿で。
その栗毛色の長い髪も、以前のままで。
「ありがとう…悠人」
それは臨終間際の言葉の続きに聞こえた───。
気が付くと、窓から光が射していた。まるで、あの激しかった雨が嘘であるかのように…。
俺は窓を開けた。見事なまでの、蒼天だった。
そして、遠くに…。
「虹、か…」
見ると蒼空には眩いばかりに美しい虹が映えていた。
そして、そこには七色に輝く天空の橋の上で、踊りながら笑う母子(ははこ)の姿を見た気がした。
「有希…優凪…いつか、いつかまた…逢おうな」
俺は遠く遠く未来(さき)に居る二人に誓った。
もしかしたら、それは俺の心が創り出した幻に過ぎなかったのかもしれない───。
後書き
ポップンやっている人は気付いたかもしれませんが、これはあさきの「空澄みの鵯と」をモチーフにした小説です。本当にこの曲切な過ぎて聴いている間ずっと泣きっぱなしで…小説を書いている間もずっとぐすんぐすんやっていました…(ぉぃ)
参考資料集めにネットで歌詞の解釈を読んだりしました。古典を読んでいるみたいで楽しかったwww その為、いつもより言い回しも固くなるようにしたつもりです。ええ、これを聴きながら蒼竜さんと電話をしていてまたぐすんぐすん…怒られました;;
名字は出て来ていませんが歌詞に合わせて「蒼空(あおぞら)」です。名前の方は…ギミックがあって、全員「ゆ」で始まる名前で揃えました。作中にもあるように、私と蒼竜さんの本名が「ゆ」で始まる名前の為、子どもには同じように「ゆ」で始まる名前を付けようと昔、話していたエピソードから引っ張ってきました。
私が最初から最後まで一貫してシリアスを書く事は極めて珍しいのですが、意外と書けるものですね…(苦笑) ところでこれ…一応、初の台本用として冬咲秋桜様に捧げるつもりなのですが…どう仕上がるのか楽しみです。
追記
冬咲秋桜様の個人サイトではなく、色々あって参加する事になったボイスサークル「こころっと。」にてドラマ化されました! 私自身の作品を声に出して読まれると言うのはかなり恥ずかしかったのですが、出来上がると「おぉっ!」という何とも言えない感動もありました。蒼空有希役を秋桜様、蒼空悠人役をベア様が演じて下さっていますので、宜しければそちらもどうぞwww
バナーは秋桜様お手製です♪ 記念に頂きましたwww
こちらは「蒼天の雛」の後日談「蒼天の雛─鵯が羽ばたくとき─」(2009年6月公開予定)のバナー。同じく秋桜様のお手製。
プロット※要反転
父/蒼空悠人(あおぞらゆうと)
母/蒼空有希(あおぞらゆき)
娘/蒼空優凪(あおぞらゆうな)
有希「子どもが出来たの!」
悠人「本当か!?」
有希は身体が弱く、子どもを授かる事は出来ないと言われていた。
悠人「名前どうしようか?」
有希「ねぇ、貴方。あの時の約束を覚えてる?」
悠人「覚えているぞ」
有希は臨月に入って急に体調を悪化させる。医者にはこのままでは母子共に危ないと言われるが、有希は悠人に黙っていた。
秋も深くなった頃、無事に女の子を出産するが…。
有希「ねぇ…見て。手を、握り返してくれるの」
悠人「有希!!」
有希「貴方…先に、逝くから」
悠人「馬鹿野郎…! 死ぬなっ!!」
有希、ごめんなさいと一言告げ、息を引き取る。
優凪もまた、梅雨の時期に高熱を出し…。
悠人「神様…何故…っ!」
悠人は自分も後を追おうかという衝動に駆られるが、死んだはずの有希の声が聞こえて思い留まる。
有希「貴方、私達の分まで生きて…」
気付くと、激しかった雨が止んで虹が出ていた。
虹の橋の上で2人の優しげな笑顔を見た気がし、いつか2人に逢うまで生きる事を決意する。